トレカのバイトでバレエが活きた?!

思うようにいかなくて、
苦しくてもやもやして、
頑張るのが辛い。

何のためにやってるのか分からない…

でもそれはいつか、
“やってて良かった!”と
思える日が必ず来ます。

というかそう思って生きてた方が、
明らかにオトクです。

いやだ辛いもんは辛い、
逃げたい苦しい…綺麗事だ!
って思うのも、めっちゃわかります。

私も高校入ってからすぐ
自律神経壊して、そっから
8年治らず棒に振った心地でした。

でも20年くらいかかって気づいた、
私のしがない例があるので
良かったら聞いていただけますか。

バレエのせい

私は子供の頃〜高校生くらいまで、
クラシックバレエを習っていました。

舞台ではキラキラふわふわの衣装着て
つま先で立って踊るやつですね。
※普段はレオタードです

5歳くらいの時、
保育園の友達が習っていたのを見て、
私もやるって言って始めたものです。

ところが中学生くらいになると、
私は勉強してる方が楽しかった。

試験前はちゃんと勉強したかったから
習い事で時間取られるのは嫌だったし、
バレエ自体、周りのレベルが高過ぎて
楽しくも感じなくなっていました。

元々ビジュアルにも体の素質的にも
恵まれていない方で、実力もなく、
舞台に立つ時は1〜2歳年下の子と
同じ役を振られていました。

正直勉強の方がしたかったし、
とっとと辞めたかった。

でも子供の頃って親には逆らえない。

親は、ここまでせっかく続けてきたのに
勿体無いから辞めるなと言う。

試験前は勉強したいから休みたい、
みんなもそうしてるからと言っても、
月謝はちゃんと一ヶ月分払ってるんだから、
勿体無いから休むなと言う。

口を開けば勿体無いと。

だから試験前日なんかでも、
みんなの出席率が低くても
私はレッスンに行っていました。

…楽しくもないのに笑

そんな中なんとか地元では人気の
自称進学校に合格しましたが、
入学後提示される勉強量が結構なもので。

普通の授業の予習復習課題、
朝課外、夕課外の予習…。

後で聞いた話、想定される消化量の1.2倍は
提示されるから、みんなそんなに全部は
真面目にやってないよとのことで。

それをご丁寧にしっかりこなそうとしたところに、
バレエの公演の予定が入り、練習量、レッスン時間が増加。

ちゃんと体壊して、結果8年戻りませんでした。

バレエで身についた言語化

私はしばらくずっと、
バレエを習っていたことを
半ば恨んでいました。

楽しくもなかったし辞めたかったのに、
勿体無いと辞められなかった結果、
体まで壊して身も蓋もないと。

でもそれが、ああやってて良かった!
と思えた瞬間があったんです。

それはバレエとは何にも関係ない、
日雇いのアルバイトでのことでした。

最近資産化が進んでいる(?)
トレーディングカードの
梱包のバイトがあったんです。

キャラクターが印刷された銀色の包装紙一袋に、
通常8~10枚カードが入ってるかと思います
(単位を1ピロと数えます)。

それを、一箱に2ダース(24ピロ)
詰めないといけないんですが、
ここ実は手作業なんですね。

ベルトコンベアで流れてきた24ピロを
軽く検品して揃えて、
ちょっと順番を混ぜくって箱にin。

これがちょっと慣れとコツのいる
作業だったんです。

私も出勤3回目くらいでやり方を教えてもらって
このポジションをこなすようになったのですが、
覚えが早さが買われて、割とすぐに
後の人に教えるようになりました。

その時、
「教えるの上手いね!」
「言語化が上手!」
と言ってもらえたんです。

私は特段意識などせず、ただ
自分が理解したように説明しただけでした。

ピロ揃える時は手を広げた方がいいよ、
落とすくらいの気持ちでいい、
隙間ができるからその瞬間に
指を使ったら綺麗に揃うよ、みたいに。

(実物を見ながらでないと
説明も理解もとんでもなく難しいので、
ニュアンスだけ伝われば大丈夫です…笑)

私は習得する時に、感覚を言語化して
理解していたことに気づきました。

練習する時、うまくいった時の感覚を
思い出すトリガーになる言葉を
常に探しながらやっているんですね。

それが普通だと思っていたのが、
感覚派の人にとっては
当たり前ではなかったみたいです。

思えばバレエを習っていた時は、
それこそ先生たちが、
感覚を言葉にして伝えてくれていたんです。

足は地面に突き刺して体が上がるイメージ、
とか、
頭のてっぺんが天井から吊られてるみたいに、
とか。

そうして伝えられた言葉を、
自分の体と感覚で再現できるように、
さらにトリガーになる言葉を
自分なりに探していました。

まあ結局上手くできなくて
へったくそなまんま終わったんですけどね。

結果はともかく、
私は感覚と言葉の相互変換は
子供の頃からかなり自然に
やっていたんだなと気づきました。

自分の絶望はいつか誰かのために

感覚と言語の相互変換は、
バレエやトレカのバイトの
話だけにとどまりません。

私が最近始めたボイトレも、
感覚と言語の変換です。

先生が教えてくれる
正しい発声の感覚が理解できる
言葉を教えてもらって、それを
また自分の感覚に落とし込む。

まあこれは芸事なので、
バレエに近いわかりやすい例えですが。

自分が先に理解したことの
説明を誰かにする時とか、
自分の考えを伝える時、
相手の考えていることを
理解しようとした時。

感覚と言語の相互変換は、
いつでも使っているんですね。

子供の頃から、自然と
そのトレーニングができていたことで、
理解力や説明する力なんかが鍛えられ、
大人になった今、私は日本語が
一番得意なのかもしれません( ̄▽ ̄)

(※数字とボールはアレルギー)

そう思えた時、私はあんなに恨んでいた
バレエに心の底から感謝できたのでした。

だから、今思うようにいかない
どうにもならない辛いことがあっても、
きっといつか役に立つ時が来る、
誰かの役に立てる瞬間が訪れると
思うことができますし、
こうして伝えることもできます。

皆さんは、皆さんにしかできない
経験を積んでいて、だからこそ
言えること、できること、
救える人がいるんだと思います。

何があっても、
あの時あの経験していて良かった!
と思える人生にしたいですね。

それでは、また。

日常
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碧い もみじ

平成9年生まれ熊本出身、埼玉在住。
高校入学直後「起立性低血圧(自律神経失調症)」と診断され、その後約8年を棒に振ったものの自力で治し、現在はフルタイムで都内まで通勤している。
絵や歌、アクセサリー作り、古典的な自転車など、興味を持ったことにはとことんハマってきたタイプ。
情報発信についても数年かけて学んだため、自分も何かできることを発信しようとサイトを立ち上げた。

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